最後から二番目の真実

主にミステリの感想

柳生十兵衛秘剣考 水月之抄 -高井忍

 

柳生十兵衛秘剣考 水月之抄 (創元推理文庫)

柳生十兵衛秘剣考 水月之抄 (創元推理文庫)

 

 廻国修行をさらに続ける男装の武芸者・毛利玄達だが、どういう腐れ縁か、行く先々で剣豪と名高い柳生十兵衛と出くわすことに。この度も、将軍家剣術指南役・小野次郎右衛門の墓参に連れ立つことになった二人。下総で、次郎右衛門が同門の善鬼と一刀流の継承を争った決闘の真相ほか、剣豪にまつわる三つの謎。剣の謎解きにかけては右に出る者がない、柳生十兵衛の鮮やかな名推理。

 前作「柳生十兵衛秘剣考」の続編。今回も古今東西の剣豪にまつわる謎を解いていく。正直、剣豪に詳しくない私だが、それでも問題なく話について行けるのは高井氏の技量のおかげだろう。

 

毛利玄達と十兵衛のつかず離れずな立ち位置や当時の風俗を感じさせる描写など、時代小説としても十分魅力的と言えるだろう。

 

安定の第2作。

その可能性はすでに考えた -井上真偽

 

その可能性はすでに考えた (講談社ノベルス)

その可能性はすでに考えた (講談社ノベルス)

 

 「謎はすべて解けました。これは――奇蹟です。」
この傑作を読まずして、今年のミステリは語れない!

かつて、カルト宗教団体が首を斬り落とす集団自殺を行った。
その十数年後、唯一の生き残りの少女は事件の謎を解くために、
青髪の探偵・上苙丞(うえおろじょう)と相棒のフーリンのもとを訪れる。

彼女の中に眠る、不可思議な記憶。
それは、ともに暮らした少年が首を切り落とされながらも、
少女の命を守るため、彼女を抱きかかえ運んだ、というものだった――。
首なし聖人の伝説を彷彿とさせる、その奇跡の正体とは……!?

探偵は、奇蹟がこの世に存在することを証明するため、
すべてのトリックが不成立であることを立証する!!

 奇跡が起きたことを証明するために、現実的なトリックが不可能であることを証明していく探偵、一つまた一つトリックが不可能であると証明されていく。という一風変わったストーリー。そうなると、いかに「ミステリらしいトリック」や「現実的で不可能性を証明しにくいトリック」が実現不可能かを説明していく所が読みどころになる。

 

 で、実際にそれらは達成されるわけだけども、どうしても気になるのが不必要なほど非現実的な容姿の探偵、代わる代わる現れては論破されていく裏社会の方々、といった小物?の非現実さ。トリックの非現実さを説明していく探偵が非現実的な見た目だと、正直説得力がない。変人さを出すならぼさぼさの髪だとか、格好に頓着なくよれよれだとか、逆にキッチリしすぎなスーツ姿、なんかではいけなかったのだろうか? 相棒になる中国マフィアの女性と釣り合いを持たすためなのかもしれないけど、無理にマンガ的な要素を入れ込まなくても良かった気がするなぁ。

 

一方、ミステリらしく最終的な落としどころとなるトリックや途中のツイストの効いた展開は面白い。依頼人がいくら何でもきちんと説明しすぎているところ、いい見せ方だと思います。

 

今後に期待の一冊

そして扉が閉ざされた -岡島二人

 

そして扉が閉ざされた (講談社文庫)

そして扉が閉ざされた (講談社文庫)

 

富豪の若き1人娘が不審な事故で死亡して3カ月、彼女の遊び仲間だった男女4人が、遺族の手で地下シェルターに閉じ込められた!なぜ?そもそもあの事故の真相は何だったのか?4人が死にものぐるいで脱出を試みながら推理した意外極まる結末は?極限状況の密室で謎を解明する異色傑作推理長編。 

 扉が閉ざされた状態で、おそらく閉じ込められた原因となる事故を思い出し、事故死の犯人を捜す、という少し変わった物語。

 

先に弱点から書くと、閉じ込められた状態のため確定した事が分からないにも関わらず、比較的簡単に閉じ込められている理由や閉じ込めた犯人を決めつけていること、最終的なオチが少々弱く、閉じ込められたサスペンスもそれほど強くない。

 

 

しかし、この作品の肝は「4人とも犯人ではない」と言うところ。そうでもなければ、さすがにあの極限状況で「私は犯人ではない」と言い切る事が不自然。一方で全員が何らかの形で怪しい行動をとっていないと早々に事故死と決めつけられてしまう。この絶妙なさじ加減がこの作品のスピード感を生んでいる。一つ一つの手がかりが出てくるタイミングや、脱出を探るタイミングの自然さなどは岡島氏らしい丁寧さ。

 

名作は時を超えて残ることを教えてくれる一冊。おすすめ

田舎にしかない教養はある

togetter.com

年末も押し迫った今日この頃、もはや風物詩として定着した紅白歌合戦が楽しみです。で、やっぱり私が育った田舎なんかだと、これといった華々しい文化、風物詩ってほとんどないんですよね。劇場や映画館も行こうとすると2,3時間かかるありさまでしたし。上記リンク先の人の言うとおり、あまり演劇や映画、美術館に恵まれていなかった田舎だったんですよね。

 

 最寄りの都会である、大いなる田舎、名古屋もコンサートは名古屋飛ばしを食らい、好きなアーティストは中々来てくれなかった。漫画やアニメが好きだったけれども、名古屋市に住んでいたわけではなく、ショップが充実しているという噂の大須まで行くのも難しい。そもそも駅まで1時間かかる環境で育ったんですが、ただ、リンク先の話題と違ったのは、文化や教養にふれあえる状況がたくさんあったと言うこと。

 

 ボーイスカウトのイベントで入ってもいない私にロープの結び方やテントの張り方を教えてくれたり、夏休みは公民館で映画を見たり、田んぼの藁で遊んだり、用水路でザリガニ取りをしたり。こういった事は都会でも出来るとは思うけど、田舎でも出来たんだよね。

 

 大学時代、田舎の代表のような長野で過ごしたけれども、そこの子供達は、スキーやスノーボード、登山なんかを学校行事や普段の遊びの中で楽しんでいたし、雲を見て天気を読む事や、野菜の育て方や虫の名前、木の名前は私よりも詳しかった。こういった所は田舎にはかなわないな、と思っていた。諏訪の子供達はマラソン大会で諏訪湖の周りを一周するらしいが、それも大人になればチョットした教養だろうね。諏訪湖の距離や周りから見た景色を体感して話せるってのは財産だよ。

 遊びだけでなく、大人達が行う、狩猟や漁なんかを子供の時に好き嫌いはあるにしろ知ることが出来る、これはアドバンテージだ。でも上記リンク先では、これらは教養ではないのか、と思うとちょっと憤慨する。都会では1時間では到達できない教養だと思うよ、本当に。

 

 とはいえ、人が欲しい文化や教養とそこにある文化/教養にアンマッチってのはあるから、そういうことが言いたいのかとも思う。けど、それでも都会でアンマッチに悩む子供も多いんじゃないかな。ウィンタースポーツが好きな都会っ子は田舎の子をうらやむと思うね。

 何をしたら良いかと考えるんだけど、そんなにやれることはないと思う。たとえば、今生きている子供達のアンマッチ解消のために動いたりとか。図書館の充実を図りたい自治体にふるさと納税する、とかね。

定本 黒部の山賊 -伊藤正一

 

定本 黒部の山賊 アルプスの怪

定本 黒部の山賊 アルプスの怪

 

 北アルプスの最奥部・黒部原流域のフロンティアとして、長く山小屋(三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋、湯俣山荘)の経営に
携わってきた伊藤正一と、遠山富士弥、遠山林平、鬼窪善一郎、倉繁勝太郎ら「山賊」と称された仲間たちによる、
北アルプス登山黎明期、驚天動地の昔話。
また、埋蔵金伝説、山のバケモノ、山岳遭難、山小屋暮らしのあれこれなど、
幅の広い「山の話題」が盛り込まれていて、読む者をして、まるで黒部の奥地にいるような気持ちにさせてくれる
山岳名著の一書です。
1964年に実業之日本社から初版が刊行されたときは、多くの読者からの好評を得ました。
近年は、山小屋でのみ購入できたこの幻の名作が、『定本 黒部の山賊』として、
山と溪谷社から刊行されることになりました。
新規原稿も一話加え、底本未掲載の貴重な写真も盛り込んでいます。
巻末には、高桑信一氏と高橋庄太郎氏による『黒部の山賊』へのオマージュも掲載。

  富山の最奥にあたり、室堂から更に一日以上かかる南に雲ノ平はある。その周囲は一般に黒部源流と呼ばれ、行き帰りに1日づつ最低2日は必要とする地域だ。その黒部源流域にいた「山賊」達の生き様は非常に格好いい。

 

一般的なかっこよさ、あるいは豪放さではなく、生きることと、その糧を得ることが直結するその姿に感銘を受ける。働いてお金を得、そして生きていくのではなく、生きるために熊を撃ち、鱒を釣り、そして生きていく。一旦お金を介してしか生活出来ていない自分と、糧を得ることと生きることがダイレクトにつながっている黒部の山賊。戦後70年、あまりの違いにあこがれることしか出来ない。

 

黒部の山賊と出会い、生きてきた伊藤氏の現代的とも言える価値観と、底なしの体力と知恵を持つ山賊、もしかしたら今もいるかもしれないカッパや化け物。今年、源流域にある赤木沢を遡行したが、確かに今でもあそこには山賊にカッパにもしかしたら財宝があるかもしれない。

Diggin' Magazine special issue

 

  毎年、夏から秋にかけて色々な出版社からスノーボードムックが発売される。しかし、バックカントリーへ精力的に出かけるような人達は、春には次のシーズンの道具類を予約することが多い。

 

とすると、年季のはいったスノーボーダーはこういったムックは読まないのだが、Diggin' Magazineはそんな商売になりにくい所に違う角度で誌面を作り上げた。各ブランドの考えや姿勢を前面に出し、商品の説明は後ろに隠す。ブランドごとの考えをウェアなり、ボードなり、バインディング、ブーツを通して描いている。

 

このボードは反発がいいとか、ブーツのホールドが良い、ではなく「なぜこのボードを作ったのか」、「ウェアを作りはじめたきっかけや作り続ける理由は何か」、そういった普段知ることのない「精神」の部分が読める。単純に貴重な一冊で、稀な姿勢で作られている。

 

私は最近は性能の善し悪しではなく、モノの背後にあるブランドの目指すところやCSRでどういった活動をしているかで買うようになってきている。聞くところによるとサーファーは、自然の波で遊んでいるうちにいつしか地球環境を考えるようになるらしい。スノーボーダーも自然の雪で遊んでいるうちに、死ぬまで遊び続けられるような生活スタイルを築きたくなるようだ。

テニスコートの殺人 -ジョン・ディクスン・カー 三角和代訳

 

テニスコートの殺人【新訳版】 (創元推理文庫)

テニスコートの殺人【新訳版】 (創元推理文庫)

 

 雨上がりのテニスコート、中央付近で仰向けに倒れた絞殺死体。足跡は被害者のものと、殺された男の婚約者ブレンダが死体まで往復したものだけ。だが彼女は断じて殺していないという。では殺人者は、走り幅跳びの世界記録並みに跳躍したのだろうか?“奇跡の”殺人に挑むのは、名探偵フェル博士。驚天動地のトリックが炸裂する巨匠の逸品!

 先に言うと、トリックそのものは結構オーソドックス。現代からするとシンプルすぎて捨てトリックにされるほどだと思う。しかし、それを前提に読むと、犯人がとても実行できないように見えてくる。そこで、殺人前後の描写を何度も読み込むことで描写の穴に気が付き事件の全容が見えてくる、とてもエキサイティングな体験ができる。

 

ヒューとブレンダが足跡のない殺人を「足跡のある殺人」に変えようとしたり、変な三角関係が出てきたり、と倒叙物のようにハラハラできる。こういったプロットが良く出来ている点がまだまだカーを読む理由になるだろう。