最後から二番目の真実

主にミステリの感想

推理モノに必要なもの

推理モノを読んで(遊んで)いるとどうにもクソなものがあります。
具体的な名前は挙げませんが、それらには共通してあるものが欠けています。

それは「納得」です。


そもそも小説やゲームをしていてストレスがかかるのは「思い通りにいかない」、「先に進めない」、「難解」であったり「読解しにくい」時です。

それらはどれも自分の想像に反しているために理不尽さを感じ、納得できないために面白くないどころかイライラを募らせることに繋がります。

納得さえできれば、あまりイライラを感じる人は少ないとおもいます。


例えば「ひぐらしのなく頃に」。この作品には不満を持っている方もそれなりに存在します。そして満足している方との間に明らかなズレがあり、今でも喧嘩になる場合があるようです。

この作品の場合、問題篇から想像される解答篇と実際の解答篇との間のズレが不満を生んでいるわけです。羽生や山狗などの登場に納得できるか、が満足か不満かをわけます。

なぜ納得できないか。それは現実に羽生も山狗も存在しないからです。知らないことを納得することはできません。数学にしろ自然科学にしろ未知の分野は現実(既知な物事)の延長線に存在します。クイズでも思わず見落としている点を突いたものは人気が高くなります。

つまり、自分が知っていた、少し想像すればわかった事に対して納得は生まれます。小学生に大学レベルの数学の問題を出しても、仮にそれが如何にフェアな問題だろうとも納得はしてくれないでしょう。

「ひぐらし」はまずフェアではありませんでした。また、現実のうちに収まってもいませんでした。不満に思っている人はここに苛立ちます。


では楽しめた人、納得できた人は不自然なのでしょうか?そうは思いません。
納得できた人は、羽生や山狗に納得したのです。なぜか。これらは非常に漫画的です。フィクション的です。言い換えれば非常にフィクションとしてありがちです。ならば、想像のうちです。納得するのは自然です。

つまり、「ひぐらし」における不満、満足を分けたのは次のように思われます。フィクションに対して現実の延長を見る人は不満を、フィクションに対して現実を必要としない人は満足を覚える、と。