最後から二番目の真実

主にミステリの感想

評論は結構おもしろいけども

小説を読むときに、「作者はこういいたいのかな?」とか作者の、あるいは著者の考えを想像する事はあると思います。

大概そういった想像はあくまで「自分の想像」であって著者の考えとは同じではないと思っています。他の方もそうだとは思います。一般的に考えて


ただ、批評や評論では評論の著者の考え=読者の想像する著者の考えと捉えられ易いです。大抵文芸評論では作者の考えに作品での表現が合っているかを評価していることがあるので、「おいおい、作者がこう考えているかわからないじゃないん?」とか「作者だけどもこんなこと考えてないよ」とかいわれます。


とはいえ見方を変えると、文芸評論では「評論著者の考える」作者の考えだというのは前提に評論しているものだとも思います。つまり、「評論著者の考える」「作者の考えに作品での表現が合っているかを評価」しているはずです。仮想作者に勝手に文句つけているようなものです。


一見評者の言いたい放題ですが、実際には評論は作品をより楽しみ、深く知るために書かれているはずです。ですので作品をわかりやすく見るためや、別の側面を見るために補助線として「作者の考え」などが導入されます。この場合の「作者の考え」は実際に作者が考えている必要はありません。作者の生きた時代特有の時代性や趣味嗜好なんかは作者自体が意識していないことも多いと思います。

しかし、読者の側からすると「作者の考え」の導入が恣意的に見えてしまうのです。いかに見晴らしを良くするためとはいえ、作者の考えと違うものを「作者の考え」と言ってしまうのですから。

そこで、あくまでも「作者の考え」なんてのは評論家の考える「作者の考え」である、と捉えると面白く評論が読めるとおもいます。読者の想像する評論家の考えで評論家を批判するのは自家撞着じゃないですか。