最後から二番目の真実

主にミステリの感想

探偵小説は「セカイ」と遭遇した -笠井潔 まだまだ続きます

なんかもう面倒くさくなってきてますが、一日一編読むのが精一杯の現状ではこの後も「探偵小説は「セカイ」と遭遇した」の感想は続きます。多分後2週間くらい


もうメンドイので書影は出しません。

今日は「環境管理社会の小説的模型」。これに対してはもうどうこう言う対象ではないと考えます。本文中で幾つもの「石神像」が語られますが、ここまで曖昧な犯人像では、これはもうハッキリ「作者の失敗」じゃぁないかと思います。

湯川にしても「天才物理学者」といわれていますが、じゃぁ何を研究しているのか私には分かりません。素粒子?物性?宇宙論?ドラマのセットもいい加減でしたね。石神も「天才」数学者らしいですがステレオタイプな天才像にしか見えません。紙と鉛筆で数式をバリバリ書くのは結構ですが、コンピューターの力をまるで評価しない理由がうそ臭い。余りに「天才性」が曖昧すぎて天才に見えない。ナルトの天才ぐらい安っぽい。まるで天才のバーゲンセールだ。

これを直木賞に推した人も推した人ですが、赤朽葉に賞をあげるほどに目が節穴と言えるし後巷説に賞をあげるくらい空気が読めないとも言える、これをリアリズム小説であるという笠井氏は自分とはまるで意見が違っている。ですのでこの一編に対しては「世間の空気に乗っかっただけな作品の空虚な部分で実について語っても意味がない」としか感じません。

鬼灯の中身を語るようなもんでしょう。そこらの空気について語ればいいじゃない。